暗越奈良街道
江戸時代にはお伊勢参りのルートとして栄えた生駒山を越える暗越奈良街道。
(自転車は峠までほとんど押し上げ)

恩智川に架かる水走橋(向こうが大阪側)、暗越奈良街道はここ水走橋から生駒山を越える。

暗越奈良街道と南北に走る東高野街道との交差点(道標)。

枚岡公園内、これが国道(酷道?)308号線、暗越奈良街道の激坂。

「松尾芭蕉句碑」
奈良から大坂に向かって暗峠を越えました。
その時詠まれたのが「菊の香に くらがり登る 節句かな」の句です。
この暗峠越えが芭蕉最後の旅となり、大坂に入ってまもなく、10月12日に亡くなりました。
その後、芭蕉の百年遠忌を契機に、蕉風復古の気運が高まり、寛政11年(1799)地元豊浦村の中村耒耜(らいし)によって、暗峠の街道筋に「菊の香に くらがり登る 節句かな」の句碑が建てられましたが、山津波により倒され、いつしか行方がわからなくなっていました。
このままでは芭蕉の旧跡が忘れ去られるとの想いから、明治23年、俳句同人六郷社の有志によって、自然石の表面に大坂の豪商平瀬露香の筆により再建したのが、この俳句です。
句の最後の「はせお」とは芭蕉のことです。
(東大阪市)

生駒山の中腹位か、東大阪市が眼下に見える。

気温3度、止まれば寒い。厳寒のこの時期、この激坂も意外と苦にならない?

電動自転車でスイスイ上っていく人が・・・。(電動自転車はこの激坂でもを上れるのか!)

激坂もここまで峠の集落が見えてきた、狭い道路が国道308号です。

国道308号から(国道には見えない・・庭先の道路?)、大阪側の眺め。

峠の少し手前にある灯篭。

灯篭の台石には盃状穴(”はいじょうけつ”といわれるくぼみ)が彫られている。

暗がり峠到着、枚岡公園から1時間位か。(上の写真は大阪側)

峠にはわらじのドロを落としたといわれる石畳が敷かれている。

峠の茶屋で一服。(コーヒー、お酒、軽食もある)
向こうに見える白いガードレールは信貴生駒スカイラインスカイライン。

峠から一気に下ります!。奈良盆地が遠くに見える。
(自転車は峠までほとんど押し上げ)

恩智川に架かる水走橋(向こうが大阪側)、暗越奈良街道はここ水走橋から生駒山を越える。

暗越奈良街道と南北に走る東高野街道との交差点(道標)。

枚岡公園内、これが国道(酷道?)308号線、暗越奈良街道の激坂。

「松尾芭蕉句碑」
奈良から大坂に向かって暗峠を越えました。
その時詠まれたのが「菊の香に くらがり登る 節句かな」の句です。
この暗峠越えが芭蕉最後の旅となり、大坂に入ってまもなく、10月12日に亡くなりました。
その後、芭蕉の百年遠忌を契機に、蕉風復古の気運が高まり、寛政11年(1799)地元豊浦村の中村耒耜(らいし)によって、暗峠の街道筋に「菊の香に くらがり登る 節句かな」の句碑が建てられましたが、山津波により倒され、いつしか行方がわからなくなっていました。
このままでは芭蕉の旧跡が忘れ去られるとの想いから、明治23年、俳句同人六郷社の有志によって、自然石の表面に大坂の豪商平瀬露香の筆により再建したのが、この俳句です。
句の最後の「はせお」とは芭蕉のことです。
(東大阪市)

生駒山の中腹位か、東大阪市が眼下に見える。

気温3度、止まれば寒い。厳寒のこの時期、この激坂も意外と苦にならない?

電動自転車でスイスイ上っていく人が・・・。(電動自転車はこの激坂でもを上れるのか!)

激坂もここまで峠の集落が見えてきた、狭い道路が国道308号です。

国道308号から(国道には見えない・・庭先の道路?)、大阪側の眺め。

峠の少し手前にある灯篭。

灯篭の台石には盃状穴(”はいじょうけつ”といわれるくぼみ)が彫られている。

暗がり峠到着、枚岡公園から1時間位か。(上の写真は大阪側)

峠にはわらじのドロを落としたといわれる石畳が敷かれている。

峠の茶屋で一服。(コーヒー、お酒、軽食もある)
向こうに見える白いガードレールは信貴生駒スカイラインスカイライン。

峠から一気に下ります!。奈良盆地が遠くに見える。