旧堺港の灯台

大和川から旧堺港の灯台までサイクリング
大和川休憩
大和川途中で休憩。

吾彦大橋から大和川上流
吾彦大橋から、大和川、生駒山。

堺灯台1
海の道標(旧堺港の灯台)
木製の六角形の灯台で、高さは11.3メートル。1877年(明治10年)に完成し、1968年(昭和43年)1月29日まで使用されていた。1972年7月12日に国の史跡に指定された。
2005年から保存解体修理を行い、2007年3月に修理工事が終了。

歴史
明治時代初期、堺港の改修事業に伴い、新しい灯台設置の必要性が高まった。そこで堺の有力者らは自ら基金を出し合い、当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。灯台の建設にはイギリス人技師のほか、堺の大工や石工も深く関わっている。
1877年(明治10年)に堺港の南波止場に灯台が完成し、同年9月15日から稼働した。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで灯台の光が届いたとされている。
しかし時代が下り、1959年から始まった臨海工業地帯の埋め立てにより、徐々に灯台の役目を果たせなくなった。そのため灯台は1968年に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。

備考
旧堺燈台は堺市のシンボルのひとつとされ、市内各所でモチーフとして使用されている。旧堺燈台をモチーフにした公衆電話ボックスや時計台、旧堺燈台をデザインしたマンホールなどが、堺市内にある。また1997年に開催されたなみはや国体を記念して、堺市内の和菓子製造業者らが共同で、旧堺燈台をかたどった「堺燈台もなか」を開発している。 また近年では海の日の前後の2日間で、市職員立会い(ガイド)の下で燈台内部の一般公開も行われている。(2009年までは実施済。2010年以降は未定)
-Wikipedia-


堺灯台4 堺灯台5 堺灯台6 堺港ヨットハーバー
堺港ヨットハーバーです。

長尾街道?
堺市は長尾街道の起点になります。

千利休屋敷跡
千利休屋敷跡
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。

与謝野晶子生家跡 SANY0029.jpg
与謝野晶子生家跡
「みだれ髪」はその代表作、甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。与謝野晶子は菓子商駿河屋の三女として甲斐町に生まれてから、鉄幹に出会い家を出るまで堺ですごしました。明治・大正・昭和を短歌とともに生き「情熱の歌人」と呼ばれ、同じ文学者鉄幹の妻であり、11人の子どもたちの母でもありました。明治34年(1901年)に出版された「みだれ髪」は、鉄幹へのあふれる愛と青春のみずみずしさを歌いあげ、浪漫主義の代表作となりました。
また詩、評論、古典研究などさまざまな執筆活動を展開する一方、女性の権利に焦点をあてた評論も多く著し、当時の女性の地位向上に積極的に取り組んだことでも有名です。
その生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があり、晶子と鉄幹を引き合わせたといわれる覚応寺、二人がはじめてデートした浜寺公園など、エピソードがつたわる地と晶子歌碑巡りを楽しむことができます。最近のリニューアルで生家の様子をビジュアルに表現、外国人観光客用に英語・中国語・ハングルの説明文も加えました。歌碑周辺の石組みは碑に刻まれている歌にちなみ、海の波をイメージして高低に配し、所々の青色タイルは光る水面を表現しています。

山口家住宅(重要文化財)
山口家住宅(重要文化財)
堺の豪商住宅の雰囲気を今日に伝えるのみならず、全国的にも江戸時代前期の町屋例として極めて貴重な民家で昭和41年(1966)6月11日国の重要文化財に指定された。

菅原神社
菅原神社
堺の浜に漂着した菅原道真自作の木像を祭ったのがはじまり、天神さんと呼ばれ堺戎としても有名。1677年築とされる絵様肘木という組物を用いた楼門は府指定有形文化財です。夏のホタル観賞でも知られます。

鉄砲鍛冶屋敷町跡2 鉄砲鍛冶屋敷3
鉄砲鍛冶屋敷町跡
江戸時代から続く鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗。町家建築として最古の部類に属し、鉄砲の生産現場など鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一のものとして市の指定有形文化財になっています。種子島に伝わった鉄砲の製法を橘屋又三郎などが堺に伝えてから、堺は日本一の鉄砲生産地になりました。現在、江戸時代の鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一の貴重な建築物で、市の指定有形文化財になっています。江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、「元禄二年堺大絵図」にも記載されおり、わが国の町家建築としても最古の部類に属するとともに、堺を支えた鉄砲の生産現場が残されている建物としても貴重です。
大坂夏の陣の後、新たな町割が行われ現在に続く堺のまちが形成され、堺は鉄砲や包丁、織物などの製造業を中心に発達し商業のまちとしても成熟していきます。北旅籠町一帯、特に鉄砲鍛冶屋敷周辺は当時の面影を多く残し、切妻造、平入りの建物からなる当屋敷は、江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれます。

新大和橋
柏原市の新大和橋まで帰ってきました。
日本で最初の有料橋と言われていますが、はいる金が少なくて5日間で無料になったという橋です。
かつては東高野街道の一部分として交通上重要な橋でしたが、現在は歩行者・自転車専用橋となっています。石川サイクルロードに入るとき必ずお世話になる橋です。

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もっこうばら

Author:もっこうばら
嬉野温泉と嬉野茶で有名な佐賀県嬉野市嬉野町吉田出身、現在は大阪府東大阪市に在住。

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