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御領・おかみ神社のおかげ灯籠

大東市御領にある「おかみ神社」の「おかげ灯籠」を見学に出かけてきた。

・(おかみ神社)
現在では標高二メートルであるが往時はもっと高く河内湖と呼ばれる草香江に浮かぶ島でありその後池水が狭まった後には、深野池の堤防を形づくったと考えられる。深野池の干拓後は堤防の土は掘り出されて現在は坂はないが、おかみ神社北側を通り枚方・八尾線道路にあたる道を里人は三年坂と呼ぶ。境内は二十五メートル四方ほどの広さで、社名をおかみ神社と呼ぶ、おかみとは大神の約で、海中又は池沼中に住み天に昇る雨雲を司る龍神を言う。
「おかみ」を漢字構成的に見れば、雲を呼び雨を降らせる龍を基本とするものであり、水を司る神を意味する。現在の社殿は昭和四十六年(1971)に再建されるが、それ以前のものは、現社殿の北側にその跡を止めており、豊作祈願・水神を祀る小祠堂であったことが分かる。
小祠堂の割には神域が広いことから見ると往時は湖沼に浮かぶ小島的存在で、干拓後は御領村の中心地域として始まり、集落はここより西へ広がっていく。御領村発生の聖域であったと云えよう。[大東市]

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「おかみ神社」境内に「おかげ灯籠」があります。

・「おかげ燈籠」・・・『ええじゃないか お伊勢参り おかげ灯籠』
おかげ燈籠とは伊勢皇太神宮への献灯を意味する。
江戸期には神仏詣でが民衆の間に浸透し中でも盛大なのがお伊勢参りがあり、沿道の人々の施しをうけて参拝したのでおかげ参りと呼ばれている。
伊勢参りは60年周期に起こったとされるが文政十三年(1830)の場合は、おかげ参りと共に河内大和一帯ではおかげ踊りと呼ばれ、阿波踊りに似た民衆の乱舞があった。
枚方に始まり当地に及び大和に波及し、北河内に環流する。この乱舞、流行の鎮まりを見た天保二年(1831)当村の村政指導者たちは安堵し、村中安全を祈念して、この石燈籠を建立した。[大東市]

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↑ 石燈籠 (おかげ燈籠) 天保2年(1831) 建立。

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もっこうばら

Author:もっこうばら
嬉野温泉と嬉野茶で有名な佐賀県嬉野市嬉野町吉田出身。
現在は東大阪市に在住。

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